こんにちは。
身体の病には、心因性からくる身体的病気と、元々の体質から来る器質性の部分があります。精神的な分野にも、器質性精神病と呼ばれる、体の症状から派生する精神病と、心因性からくる精神病があります。
西洋医学では、医者は基本的には、自分の分野だけを診て、総合的に判断してくれる医者に巡り合うことはなかなか難しいことです。かと言って、東洋医 学も、症例数は多いのですが、下手に薬を輸入して購入しても、「偽薬」であるリスクが高いので、中々、分かりにくいこととなります。また、漢方をきちんと 分かったとしても、自身で組み合わせを作るならいざ知らず、自身で作らないのであれば、必要ない成分がかぶってしまう事もあり、割と難しい分野です。
インドのアーユルヴェーダも同じですね。
ところで、心因性の身体的病気であれば、確かに、メンタルの持ちようで随分変わります。心因性の精神病であれば、メンタルの持ちようや、環境改善(含む効率的なストレス解消)によってドラスティックに変わります。
でも、そのメンタル的な面で、どういうストレス解消があっているか、どの程度費用負担があるのかと言う点では、割と、巷のカウンセラーでは提案でき ることではありません。でも、これら、心因性の方々は、基本的に自分で考えた事は全てやっています。それで深い挫折をして立ち直れないからこそ、誰かに意 見を聞きたい。でも、既に周りは自分には出来ない事ばかり、提案してくるので、もっと挫折感を得ます。
かくして、霊能者や祈祷師が出てくるという場面になります。
彼らは、基本的には、禅の僧侶とは違い、スパルタ傾向ではありません。集団で寄り添いあって、弱い自分たちを慰めあいましょうということを提案しま す。弱いと自分を思う人は、それ以上の努力をしたがらないので、こういう集団に群れることを喜びます。自分で考えてきて、ことごとく挫折した人は、もう2 度と、自分で考えたり判断しようとはしなくなくなります。まして、人の判断で一回でもうまくいけば、判断能力を捨ててしまいます。
そうなると、依存しがちになり、結局、その指示の下で暮らすことに、幸せを見出すのです。
でも、結局は、そういう状態だと、貧富の格差が開く今では、確実に貧しいモノへと転落してしまいます。
そんな中で、器質性と心因性を合わせて持っている病気の人がいます。わたしなども、その類です。血液が、中性脂肪とコルステロールを作り出すので、食べようが食べまいが、どちらも高い値を保ちますし、そもそも、喘息だったりアレルギーだったり、アトピーだったりします。
そういう人間が、加持祈祷で治るかと言われたら、わたしは無理だと思いますね。
わたしに診断が下せるわけはありませんが、わたしが思うに、そういう人の取ってきたデータを合わせて総合的に見たら、結局は、どこへたどり着くかと 言えば、「中庸」になることを自分に課せ、もしくは、「執着を持つな」という難しい理論になります。「中庸を課す」というのは、「交感神経と副交感神経のどちらも優位にさせず、バランスを保って、怒らず、憎まず、恨まず、妬まず、羨ましがらず、その癖、自分のものは、遠慮なく捨てて新しい道に飛び込むときは、努力をしろ、その努力を「苦痛」と感じるな」という難しい話になります。
富めるものは、過緊張で膀胱炎になったり、腰痛を招いたり、色々あります。でも、これを心因的なものですと片付けてしまうと、この人たちは、富を得る糧を失ってしまいます。なので、結局はどこかで、自分の招くアンバランスのツケと上手に付き合うしかないんですね。
自分の弱さを認めて、金銭的に貧しくなるか、自分の弱さを超えて、金銭的に富めるようになるか。どちらを取っても、あなたが理想とするような完全なる幸福はありません。
しかしながら、時として、本当に色々あまりに不可思議なことは起こります。でも、自分の事が不可思議な事の範疇であると思い込む内は、結局、心が挫 折感によってトラウマを発症し、PTSDになっているのだと思います。本当に不可思議なことは、そんなことは無縁で起きていきますから。
霊能者を巡れば、霊能者も商売なので、あれこれ言いますし、また来てもらえるようにも色々いたします。
頼りにならない医者のこともありますが、でも結局は、ご自身の中で上手に共存していく道を探していくしかないのだと思います。起死回生を狙うのではなく、上手に付き合う道を探すのが一番だと思います。でも、それは、あなた自身が行うしかないのです。
弱ければ、弱い人と徒党を組むのもいいのですが、結局、その中でも権力志向がいて、その人間たちの骨肉の争いに巻き込まれます。結局集団は、利が発生すると、利に向かって、ドンドン争い事が起き始めます。だったら、心穏やかに生きていく為にはどうしたらいいかとなると、
「ひとりになる勇気」また、「1人で自立する人間の集まり」(凄く関係は希薄ですが)
を持つことがいいのだとわたしは思います。
加持祈祷でメンタルを鍛えるのであれば、禅寺に行って朝から掃除してくるのもいいです。でも、あなたの部屋の汚さを放ってまで、人の寺を掃除しても 仕方ありません。メンタルを鍛えるのには、自身の現実面といつも戦い続け、受け入れつづけ、共存を図っていくことが一番だと思うのです。
時々、霊能者が、器質性も心因性も見抜けず、あれやこれや言いますし、やりますが、明らかに危なさそうな時には、判断をゆだねないことが幸せへの道となると思います。
朋