こんばんは。

割と、わたしは仕事場を「通勤の乗り換えなし」か、「乗り換えがある時は階段の有無」を重視する傾向が昔からある。階段が凄く長いと、若い頃から、登っている 最中に膝が笑った。一時期、乗り換えの時に、凄く長い階段を上らねばならないように駅が改築された時、数日は通った。そして、酸欠が激しく、その職場を諦 めた事が何度かある。

外回りの、沢山の会社のサーバーのメンテナンスも請け負った事があったが、あまりにきつすぎて、当時56キロ位あって少々太り目だったわたしが、その一カ月後 には、疲労でモノが食べられなくなり、痩せすぎて40キロを割り、仕事自体をドクターストップするか、エンシュアドリンクという、カロリードリンクを、一日に三本飲めと 医者から言われた事があった。

神経を使う仕事は、無論だが、中々家に帰っても、交感神経が副交感神経に切り変わらない。兄が、外来を受け持つ時、凄く血圧が上がって、その後、家に帰っ て夜中まで下がらないと言った時、ふーんと思ってた。だが、良く考えると自分もそうだった。ひどく緊張して行う日は、翌朝3時以降まで、体が痛すぎて寝付 けなかった。

基本的に、恵比寿とは相性が悪い。乗り換えが多いからだと思うが、どうも立地的に、萎縮してしまう癖がある。青山は、伸び伸びとできるのだが、時々、夜間、誰もいないけれど、残業が多すぎる日、よくブザーが鳴った。明らかに、カードキーを使わないで入った時のブザーだった。その時は一度面白いので、自分 もカードキーなしで、入ってみた。体熱をセンサーするのか、やはり鳴った。

午前2時を過ぎると、特にあっちこっちで物音がした。寝泊りしなきゃならない時は、シュラフで、遠慮なくフロアに寝て、着替えは常時会社に置いた。無論だが、やはり時々セキュリティがビービーなっていた。その時は、もはや鳴っても怖いとかではなかった。

「まず寝かしてくれ」そう頼んで寝たが、睡眠は一時間しかもたなかった。そして、考えた。その次に起きる事が、身の毛をよだたせた。

午前3時半。歩く音がする。もはや、安眠を妨害しているのはよくわかった。何気なく泊まりたくない意思を会社に言ったら、会社の目の前のホテルを手配してくれた。だけれど、ホテルでさえ夜 中に歩く音がする。夏場はどうしてか、軍人さんが夜中に歩く。目指しているのは靖国だろうと思ったが、分からないので、とにかく、寝かせてくださいとばか り言った。

祓うとか、まずその頃、そんな概念が無かったんで、とにかく、拝み倒した。すいません、寝かせてください。すいません、うるさすぎます。安眠をお恵みください。けれど、あまりに 睡眠不足になり倒れた。

故に、普段は、音が鳴り始めない2時前には、退出カードにして、セキュリティロックをかけて会社を出た。翌朝、7時位に出社する と、そのログに、何かが一生懸命通ろうとした跡があった。めんどくさいんで、関わりを持たなかった。何をしたのかと次長に怒られた時もあったが、自分には 心得が無かった。

どうせ、青山墓地が見えるし、多少は仕方ないと思っていた。ついでに言えば、そんな怪奇現象、ごく当たり前の人間として、実は育っていた。実家の中で睡眠 不足にもなるし、第一、買った二子玉川のマンションで、霊障ドリームが続いた日には、世の中、元々こんなもんだろうと思っていた。

まさか、解消出来るとは思わなかった。けれど、自分が霊能者になってみて、完全な解消は出来ないと思った。地域柄もそうだし、運んでくる人もいる。運ぶ媒体もある。自分は既に、超清潔を諦めた。

けれど、特に色々あったけれど、一番記憶に残っているのは、シュラフで寝た時の、蕁麻疹だった。ダニかと思ったが、違う。今考えると、所謂、湿気に負けた免疫力での、蕁麻疹かと思う。湿気は豊富。サーバールームは、電気の宝庫。

しかし、自分はひどい静電気体質であるにも関わらず、実はこのオフィスでは、一回として電気感受性体質のやっちまう、サーバー飛ばしを行った事が無かっ た。ドサ周りのサーバー管理の時には、ドサ周りした、ドサ先で、ほんと飛ばした。有名な会社が多かったから、飛んだらアウトだった。一生懸命修復した。こ の時は、自覚している時はゴム手袋で行っていた。

色々な事があった青山午前2時。勤務先は、程なく移転した。ちなみに、表参道。出ると22年前から有名な場所がある。先日見に行ったが、今じゃ、もう、その人はいなかった。




PS:ちなみに、シュラフで寝ると時給「5万円」の時間帯があり、どっちを取るか悩んで、シュラフで寝ることを選択し、荒稼ぎした2000年問題でした。