選択の科学
シーナ・アイエンガー
文藝春秋
2010-11-12

こんにちは。

本日から少し、この本を教科書として学べるところを学んでみたいと思います。選択の科学 シーナ・アイエンカー著です。

まず、最初にセンセーショナルな実験がここに載っていて、かなりビックリしたんですが、ラットに艱難辛苦を与えて、そのラットがどれ位、足掻きもがくのかという実験が精神生物学者カート・リクター氏によって行われました。残酷な実験ですが、ご承知おきください。

普通にラットを集団で選んで、ポチャンと水の入った筒の中に入れます。ラットは、浮こうとするか、這い上がろうとするのですが、実験者は、非情にも、ラットに「水噴射」を浴びせます。そうすることで、ラットに「泳ぐか溺死するか」の選択肢を与える訳です。

恐るべきことに、ラットでも個体差が生じ、15分で溺死したラットもいれば、60時間をゆうに泳ぎ続けて溺死したラットもいました。元々、ラットの中に、 精神的な耐性があったのかと言われると、目の前の緊急事態に、何としても生き延びてやると足掻きもがくラットと、諦めやすいラットがいたのでしょう。

今度は、ラットの個性を別として、水噴射を与え、逃がし、水噴射を与え、逃がしという事をして、「艱難辛苦でも超えられる経験」をラットにつけて行くと、実は殆どのラットが、60時間泳ぐようになります。

つまり、元々、普通に私たちが生きている段階で、どうしようもない壁にぶつかった時、それにて簡単に「人生の道」を反れる人と、艱難辛苦を「強固な意思」 で乗り越えて行く人がいます。けれど、両者とも、艱難辛苦を超えられる経験を積むと、両者とも、どんどんハードルが上がっても、耐え抜いて行かれるんで す。

そうですねぇ。ここで簡単に考えてみると、まず、私たちは機能不全家族に生まれ、兄弟姉妹と徹底的に競争をし、そして学歴社会の基盤を作る為に、勉強をし、試験勉強をして、会社に入り、熾烈なポスト争いを繰り広げる。

そう考えてみると、少しずつ少しずつ、「人間の魂の筋力」を鍛えている事となるんですね。勿論ですが、こういう時に、ろくでもないイベントは起きます。体 を壊したり、事故に遭ったり、家族の不和が凄いとか。そう言うハンデを持っても、越える人は何故超えられるのかと考えると、「艱難辛苦への耐性」がついて いるんだと思います。

自殺するのは簡単な策だと思います。成功すれば、逃げられると思います。けれど、それは既に、15分で水の中を泳ぐのを諦めて溺死した「訓練していない」 ラットと同じだと考える事が出来ます。自分が何故、艱難辛苦が多いのかと考える人も多いとは思いますが、越えれば超える程、「死を選択するのではなく、死 に向かって挑戦する」という心構えになると思います。

どうせ、艱難辛苦で動かなくなった何かを抱え、不満の中で生きて行くのはたやすい事です。けれど、その艱難辛苦によって、「自分がじり貧になるのを待つ か」それとも「自分が更に逃れる道を模索するか」では、生きて行く過ごして行く時間が全く違うと思います。この本では、山岳に登る人の事故から奇跡的に生 還した人の症例も扱っていますが、そのまま、「飢え死に」するのを待って、「狂って」行く事も選択肢のうちのひとつです。

けれど、一か八か打って出て、奇跡的生還するには、正直に言えば、襲いかかる衝動性等をうち払い、自分を自分で冷静に診断し、客観的視野を手に入れれば、「自分に勝つ」と言う事ができるのです。

ラットでさえ、諦めずに60時間も泳ぎ続ける。そのタフさが、今の自分は、まさに「15分のラット」ですと思う人もいると思います。けれど、15分のラッ トでも、訓練さえ積めば、十分、60時間のラットになれる事が分かっています。つまり、自殺する事が実は、最善の策ではなく、諦めずに強固に戦い抜き、そ して、少しずつハードルを超え、そして、自分に精神の耐性をつけ、魂の筋力をぐぐっとアップさせた方が、遥かに、人生の彩りも多いって事なんですよ。

最初から、嘆きの壁じゃ越えられませんし、ベルリンの壁も崩壊するまでには、随分時間がかかりました。けれど、人は諦めたんでしょうか。諦めていないんだ と思います。そういう強固な意思を自分の中に育てるのは、別に不可能ではないんです。ただ、「15分のラット」じゃ、正直、あなたが、生存競争から淘汰さ れてしまう理由も分かりますよね。生きて行く為に、より強い子孫を残し、自分が生きてきた証を刻むには、訓練が必要なのです。

その訓練が、実は、一般的な日常生活を意識持って行う事だったりする訳です。会社の中で誰かと争い、人と人との中でぶつかり合い、私たちは大人として、本 当に過酷な目に遭ってきています。けれど、その中で、まだ、あなたがここにいて、このブログを読んでいるって事は、ひょっとして、ひょっとして、あなたに 艱難辛苦への耐性がある程度あったからではないかと考えるのです。

無意味に流れる時の中で、ぼうっとなってしまったり、衝動を感じたり焦燥の中で暮らしても、それはそれでいいんですよ。ただ、私だったら、専業主婦をして いるとしたらですね、大雑把なやりくりではなく、やりくりに気をつけて、何か自分に買ったりしますかね。(実際に私は、生活は倹約溢れる質素ぶりです失 笑)普通に暮らして行く中で、そういう、地道な困難の乗り越え方って結構あるんですよ。で、自分にご褒美がないといけないんですよ。

ラットだって、水噴射ばかりではなく、一旦は逃がしてもらっているんですね。だから、そういう意味で、逃がしてもらって、はぁっとため息ついた時に効果的 な「インセンティブ(報酬)」を自分にぶら下げるのは、実は、戦略的に自分に、「長期利益に繋がる選択」を行わせるのに、丁度いいんですね。

私もかつて、「15分のラット」であったと思います。今じゃ、60時間じゃなくて90時間のラットになったようなタフさ(苦笑)で、恐縮ですが、艱難辛苦の乗り越え方を、もっと訓練を積んで、最後まで諦めないで、人生に挑戦したいと考えています。

それでも、あなたは、「15分のラット」のままですか。







NHK DVD コロンビア白熱教室 DVD BOX
シーナ・アイエンガー
NHKエンタープライズ
2012-11-07