CHEMISTRY 2001-2011
CHEMISTRY
DefSTAR RECORDS
2011-03-02
普通はこっちかと(苦笑)彼らもそういう意味で名づけられたんでしたっけね。
ただひたすらに歌のうまい2人が「デュオ」になった時、どんな魔法が見られるのかと。

こんにちは。


人が集団として集まる時、個々の持ち味を最大限活かして、次の事に結びつけようとできる場で働くことを、適職という。

KOTObankより抜粋で申し訳ないが、次を考えて欲しい。

-個人が組織のアウトプットを高めるべく、他人や組織内の部署、部内、組織全体と調整を図り、調和している度具合。

-組織戦略のアウトプットは、

1)従業員のコミットメント(どの位できるか約束できること)

2)従業員、及び組織のコンピタンシー(適性、及び能力)

3)ケミストリー

この3点にかかってくる。

能力がほぼ似たような人間の中で、オーバスペックが入ってきて、調和を乱すことは、著しく組織のコンピタンシーを阻害し、互いに反発し合うようでは、企業のアウトプットには繋がらない。

 

つまり、あなたは、優秀だと自分で自分を思ったとする。過剰な自信家が集まって、形成される場は実は結構希な存在であり、その中へ入ることは大変に 難しく、過剰な自信家達は、常にアウトプットを叩き出し続けなければ、容赦なく、出せない人間に対して、退職を要求する。アメリカ外資ではよくありがちな 場面である。

 

就職を考えたり、集まる場へ出かけたり、そんな中から、はじき出される人は、基本、その集団とのケミストリーに対し、マッチングしていないと考える ことができる。よしんば、無理をして入っても、後後苦労が多いだろう。あまり、苦労をしないと、人間は少しずつ退化するので、その場が消失した際には、ど こへも行くあてさえもない。

 

スピリチュアルは、こういうケミストリーの中より、落ちてくる人を餌として好んで食する。ケミストリーマッチより、落ちてしまった人は、挫折感が強 く、自分がなぜ、その集団に受け入れられないのかを、理論で問いたいと考える。だけれど、彼らを納得させる理論はない。なにせ、ケミストリーなのだから。 科学的反応は、どういうふうに起こるかもわからないし、時代背景さえも、因子の内である。だからこそ、誰もが納得のいく挫折感の理由などないのである。

 

少なくとも、あなたが挫折感を味わうのであれば、挫折感のもととなる行動を洗い出すことが大事だと思う。それで、挫折感の行動元や、自分がなぜ、場 面にいて疎外感を感じるのかという理由は洗い出せるが、正直に他人から言われればきついものとなるし、他人は誰もその真相は語りたがらない。理由は簡単 で、結局あなたは、親切感より説明してくれた人にさえ、喰ってかかるような冷静感の欠けた人間であるからだ。

挫折感を味わっている人は、殆ど、自分の悪いところなど目に入らない。自分が正しいのだと主張し、都合の悪いことは忘れ、過去の栄光にしがみつく。頑張ったことのみ主張し、自分がどう調和を乱したかまでは、記憶にないほど余裕がない。

 

その場に応じて変わっていける人間ではない場合には、その場を去ることが、一番、組織側にも、個人側にも、心理的負担は少ない。

 

スピリチュアルや宗教やマルチは、あれはあれで、依存症が、依存したまま生きていくためのサークルなのだとしたら、なんと淋しいことか。そして、共依存者が、過剰な支配欲を満たすために、依存者を 探し出すという点では、実に巧妙にマッチしたビジネスではある。基本的に、スピリチュアルを好んで行う人は、過剰に支配欲が有り、現実で逃避できない問題 をあまた抱えているケースが多い。故に、その中で揉め事が起きたりする事は実はよくある。

適当な時だけ、友人になり、適当な時だけ、ビジネスを行い、実に曖昧だからこそ、感情の絡むこの分野は、非常に難しいと考えられる。

 

また、現在の職に合わず落伍していく人も多く、職に際し、当てこすり気味な自殺を遂げる人もいる。

 

それも、全て上記のケミストリーに際し、オーバースペックであったか、調和が取れない独裁者であったか、過小なスペックであったか、なにか問題はあ るものである。なので、割と異種な存在をわざと組み合わせることも、ケミストリーの中にはあり、その中で、ミスマッチをするケースは結構ある。期待して組 んだがやっぱダメだったとか、家庭でさえ、この親と自分のケミストリーが、ミスマッチになる傾向もあり、家庭の場合は、それにて、早期に自立する子供が多 くなるという嬉しい悲鳴がある。

だが、職に関しては、糧を稼ぐ場所でもあるので、挫折感は数え切れない。

また、お受験ネタで恐縮だが、ケミストリーに際し、ミスマッチをしないかどうかは、親を見ればわかる。親に数種類の質問を投げかければ、その親はど ういう親かわかる。故に、その学校で12年間暮らしていける家族を分けることは造作無いことである。また、このスクリーニングで、元々問題児ではないが、 その環境では問題児になりそうな人間を排除することもできる。

公立校では、その部分は全く排除できないのであるが、そもそも、公立校でいじめられたことさえも、挫折感を乗り越えられる力強さを見せなくては、結 果的に、社会に出てから、何もすることができない。子供の頃、いじめられた人がすごく多くスピリチュアルにはいる。けれど、それを乗り越え、花を咲かせる ことができる人は、そもそも、スピリチュアル界には来ない。自分を自分で慰められる人、自分が自分に納得させる解答を導き出せる人には、必要ない世界であ る。

それを、自分で納得できず、自分の落としどころを失う人が、スピリチュアルに来て、非常に困っていると思う。

 

落としどころは、全て、あなたのケミストリーミスマッチのせいである。

 

では、自分に合うところはどこなんですか?そう尋ねたがる人がいるが、そうだな、モノは慣れもあるからね。

 

死体ばかり見ていると、死体に慣れてしまうし、結果的に強い刺激であろうが、我慢してしまえば、乗り越えられることもある。ただ、強い刺激に、心が曇り、挫折感を味わうのであれば、もう、それは、コンピタンシーという適性なので、やめればよろしいだけである。

わたしも、若い頃、心臓か眼か脳かという選択肢を教授から突きつけられ、脳を希望したが、研究室を見に行って刺激の少なさに諦め(わたしの脳内は、 猿の頭蓋骨を外して、電極をさし、その刺激で研究するという研究お花畑が広がっていた)、眼は、死にゆくモノの最後の角膜に残ることが怖くなり(意外と小 心者である)、心臓では、勝手に動くんでしょ?え?とか拒否感を示したが、実際、解剖をやって、その数日後には、解剖をしている最中に、焼肉定食を食べて 戻れるだけの慣れができた。(恐らく、すごく実験が楽しかったんだと思う)

そんなわたしが、シャーレに培養するとか、そんな実験を面白くないと感じ始めるのは、しょうがないことである。わたしは、結局、究極の選択により、その中でメリットデメリットを洗い出し、メリットを享受するために、進んできたのだ。

生きていれば、メリットはいくらでもある。メリットをメリットとして享受するには、とてつもない苦労も伴う。その苦労をしないでメリットばかり欲しいという人には、少々辟易する。

 

でも、ケミストリーマッチできない場所から転落しても、それは事故じゃない。それは、単なるコンピタンシーの問題だ。

死ぬより、いい世界は、幾らでもある。