こんにちは。
なんとなく、思う。今の状態は、決して長くは続かない。幸せを掴んだと自分で思った時、いつも幸せは、わたしの手からするりと逃げていった。
いつも、いつも、なにかしら、良いことの後には、悪いことがあり、それでバランスが取れているんだとしたら、神様、この配分はあまりに劇的な落差がありすぎて、進むのが怖くなる人が多くなるのも無理は無いよ?って思うことがある。
良いことがない人には、悪いこともない。何も起きない。何も起きないから、暇で退屈で、自分を持て余す人もいる。
わたしが、仕事を辞めた時、自分で思った。習い事に出かけても、きっと何も自分は満たされない。何をしても、満たされない。そう考えて、不平しか出てこない自分、不幸自慢しかできない自分、そんな自分がすごく嫌だった。嫌だったけれど、誰かに認めて欲しかった。
震えるような孤独の中で、自分で満たされない自分の中を覗いて、あまりに真っ黒で、とてつもないブラックホールのような気がして、自分が本当に嫌になって、死んでしまえば満たされるのか、そういうことも考えた。
きっと、だれにでもある感情で、誰もが、満たされたいのだ。
だけれど、大きなチャンスを掴めば、必然と何かは代償として起きるのだろう。
今の幸せは、今までのあまりに惨めすぎるこの6年間の代償なんだろうか。しかし、それでも、思うことがある。
もう、失っても、恐れない。
もう、逃げたりしない。
何がなくなっても大丈夫だよ。
わたしは、わたしの中にいて、わたしがわたしを満たしてくれる。
だから、何がなくなっても、もう大丈夫なんだ。答えはきっと、わたしがくれる。わたしが、わたしを満たしてくれるように、わたしがわたしに答えをくれる。
だから、幸せが今度またなくなって、また、トンデモナイ事になっても、もう大丈夫だよ。
きっと、わたしなら、そのトンデモナイことを楽しんじゃいそうだからね。
人生は、ずっと同じ事が続くわけじゃない。日々、新たにし、日々変わりゆく。
その中で、どんな中でも自分を信じて、自分の答えを信じ切れた時、大丈夫だよと、自分が自分に言えるのだと思う。
そんなことを、帰りの電車で考えた。
きっと、次の不幸に出会っても、きっと悲しい別れがあっても、もうわたしは大丈夫。
朋
(綺麗ごとでも、綺麗ごとで収めて欲しい時がある。最高の幸せは、自分の価値観が決める)