「北極星を目指して」 (左脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

カテゴリ:失われた均衡 (心の病・脳科学について) > 狂人シリーズ

自傷・自殺する子どもたち (子どものこころの発達を知るシリーズ)
松本 俊彦
合同出版
2014-03-25
大変な思いでサバイバルしてきたかと思えば、安全になった途端に自殺することもある。

こんにちは。

自殺する人のことを考えた時に、ふと思ったんだ。彼らは、死ぬ瞬間、「ひょっとして幸せだったのではないか?」とね。

自殺物件、事故物件、飛び込み自殺、あれこれ騒ぐ人がいるけれど、死ぬ当人は、「自分を縛り付ける全てから逃げられて、幸せだった」のかもしれないね。

おいていかれる人の悲しみを考えず、自分の中にあった苦しさや痛さに耐えきれず、逃げることの最終形が自殺だしね。

 

現実逃避をしなければならない程の痛みや苦しみがあるのは、わたしもよく知っている。

 

けれど、その現実逃避が、いつまでも終わらない痛みをずっと和らげてくれるのかと言ったら、それは嘘だと思う。現実逃避はどんどんエスカレートし、痛みは増すばかり。自分に向き合おうと思った時には、あまりの痛さに、思わず、また、別の現実逃避を考えてしまう。

 

痛いってそんなもんなんだよ。苦しくてつらいって、そんなもんなんだよ。

 

それで生きてろって言う方が鬼だね。でも、生きてて欲しいよ。だって、生きてれば、あなたとすれ違う偶然もあるわけだし、楽しいことはあると思うんだよ。

 

全くない訳じゃない。全くなくなった場合は、あなたが現実を見ないで逃げてばかりいたからだよね。どこにも居場所がなくなったのは、あなたが勝手な理屈で、言い訳ばかりして、現実から逃げてたからだよね。

うらやましいとか、妬ましいとか、あなたの心にだけあるんじゃないよ。

誰の心にもあるんだよ。

 

ただ、誰もそれを表に出さないよ。表に出せる相手は、友人だったりするよ。でも、そんなに大きな騒ぎはしないように、少しずつ小出しにするよ。

ため込んでため込んで、爆発した時、あなたはすごく痛いんだと思う。爆発した欠片が刺さって痛いんだと思う。

 

けれど、世の中には、その爆発した欠片が自分に突き刺さることを尊ぶ人もいるんだ。自虐思考というか、自分を罰しなければならないと思う思いだね。

 

そんなに、あなたを責める人はいないけれど、あなたが、今もなお、自分と向き合って、痛さを受け入れなければ、結局自分だけ幸せな道を選んじゃうんだよね。

 

生きてて、人を幸せにしていきたいのに、自分だけ幸せになる道を選んじゃうんだ。

 

だから、自殺者は恨んだりするところはすごく強いけれど、本質は、誰よりも「解き放たれた幸福感」が強いと思う。

 

それを周りは見て、「解き放たれた幸福感」に焦点を当てないから、「辛くて辛くて大変な毎日だった」とだけ思うんだろうね。辛くて辛くて泣き言を言いたいけれど泣き言も言わないで頑張っている人、沢山いるよ。その人たちは、何で頑張るのかって言ったら、

 

自分の幸せより、人を幸せにすることを選んだからだね。

 

ねぇ、ところで、あなたはどうする?

 

 


死んで楽になるなら、わたしがとっくにやっている(笑)。

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喜びから人生を生きる! ―臨死体験が教えてくれたこと
アニータ・ムアジャーニ
ナチュラルスピリット
2013-06-18(死にかけたことを、そんなにあからさまに喜ぶなよ)。

こんにちは。


コンテンツとして割り切ってできないで、語りたがる「臨死体験者」の臨死体験は、あれは、PTSDの表現の一種じゃないでしょうか。

あれで、昔、覚醒したとか考えていたことがあった自分は苦笑せざるを得ない哀れな中二病でしたが、PTSDだったのではないかと思うのです。

 

今じゃ、幾ら死んでも、ターミネーターとして蘇ってくる術を身に着けましたが、昔は、それで自分がなんだか、変わったような気がして、誰かにその事実を知っててほしいPTSDだったのではないかと思うのです。

 

大病を患う人は多いんです。わたしの父も大病を患い、彼の直観力は凄まじかったですからね。

 

でも、それでも、わたしの父は、執着を捨てることができなかったことがありました。

 

修羅場を掻い潜っても、何故かやってしまう事など、父にもわたしにもあります。それで、始めのころは、自分が自分ではないような気がしていました。 でも、今になって思うと、あれは、PTSDだったのではないかと。霊能者になりたいと思ったのも、この凄まじい体験が誰かに役に立てればよかったと思った のだと思うのですが、よく考えると、随分、一生懸命生き延びた術が、「人の強欲」の為に利用されるばかりで、本当に嫌になりました。

 

だったら、スポンサーなどいらないし、ひっそり書いてりゃいいやって思うようになりました。

 

そう考えたら、PTSDを超えたのではないかと思うのですよ。

 

臨死体験者は、結局は、その凄まじい神々しい場面を見ざるを得ない状態に追い込まれるような体の不調があり、その後も予後がなかなかよくなりませ ん。それが、あまりにつらい経験過ぎて、誰かに吐露したくなるのではないか、だから、あんなに、臨死体験のセッションを開いて、死は怖くないと訴えるので はないでしょうか。

 

臨死体験者の死が怖くないという言い分は、わたしには嘘に聞こえます。

 

やりたいこと、やったもん勝ちで、好き勝手生きていく人の寿命はいつも短いですよね。結構有名な人、延命すれば幾らでも生きそうなのに、割と高齢社会に反するように亡くなりますよね。病床の身でも、やりたいことをやりつくせれば、きっと執着を捨てられる。

そうなれれば、きっと死は怖くなくなると思うんですよ。

 

むしろ、生きているほうが地獄に思えるんじゃないですか?

なんか・・・・こう・・・・・・ネタ尽きました・・・感満載な感じで。いつ、ギブでいいですかね?みたいなノリで。なんか、ほとんど全部やっちゃった・・・みたいな。

 

臨死体験者の本当の本音は、孤独な心の闇の叫びのように思えるんです。それ程、怖かったんだと思いますし、吐露し続けていなくちゃ、生きている感がしないのでしょうしね。無茶し続けなくては、寂しいのでしょうし。

 

わたし・・・・わたしはなぁ。

なんか、生きててくれとか主人に言われるけれど、仕事がドツボった時ほど、「もう、無理、やり尽しました。今夜昇天でお願いします。」な勢いになりますよね。

ブラック企業に疲れた人が、朝飛び込むのも、あれも、死と生き続けるのとどちらかを天秤に乗せた時、ブラックの中で、生きていくことを精いっぱいや り遂げたからではないかと思う時もあるんです。天命でいいんだなって思う時もあるんですよ。ブラック企業辞めたって、ブラックばかりでしょ?転職癖がつけ ばつくほど、値段が下がるでしょ?そしたら、結局、選択肢は楽な方ばかり選んできたけれど、清々しい朝に、「うん、やり尽した」って思って死ぬんじゃない でしょうかね。

まぁ、ちゃんと60超えるまで、人並みに耐えていただきたいと思いますがね。人並み以上に耐えた人のご褒美が、短命ではないかと。わたしは、積極的にこれを享受したい。

 

死んで花実が咲くものかとは言いますが、どっちみち、どんな立派な人のことも、数十年、数百年経ったら、誰も覚えてもいないし知りもしない。

人生を、自己満足できるほど、謳歌できたかどうかが問題でね。それが、大事なんじゃないですか。

自殺はそれがないので、咎められるんですよ。

 

それじゃ、どうやって満足したらいいのか。だからこそ、生きるって難しいのですわ。

 

 

 

参考文献:急死と臨死体験




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